parts project 26

parts project 26

見える形と見えない形。について。 形状が複雑でも一本のクリアな道筋が見えるもの、 一筆書きのように少ない情報でも奥に奥に広がるような空間が見えるもの、 ある印象を表現するのにもっとも有効な方法を形状をもって 現しているにすぎない。 いろいろな方法を試してみようと思う。 クリアな道筋が見えるまで。

 

parts project 22

parts project 22

 

parts project 05

parts project 05

構える事。について。 音は誰も構えて聞かない。理解する前に心に直接聞こえてくる。 音と共に記憶と時間のなかに浸る事が出来る。 なぜアートには構えてしまう事が多いのだろう。 理解しようがしまいが自然に音のように 入ってこないのだろう。 響く時の反動がアートに在りすぎるのかも。 いろんな感情や感覚が存在する。 紫外線のように目に見えない感覚は素通りされてしまう。 誰かが見ている景色を同じように見ることは出来ないけれど、 見た事も無い事を見たいと思う。 想像するという事はこういう事だといい。

 

parts project 07

parts project 07

 

parts project 25

parts project 25

時間。について。 2次元の平たく塗られた色に吸い込まれそうな事がある。 なぜか立体ではあまり感じない。 平面のほうが時間軸が揺らぐような気がする。 過去も未来も平面の奥深く今も在るような。 立体には同時に現存するような時間の奥行きより 過去の記憶を感じる。 これらのものは平面ではないけれど 立体ではないように思える。 ある方向から見た印象を形作る事が多いので 強い印象は平面のように見えるのかもしれない。 立体の棒がどの角度からみてもなにか平面を感じるようにしたかったのかもしれない。 その枠の中に時間はどう見えているだろうか。

 

parts project 02

parts project 02

澱。 紆余曲折考え、ずいぶん変化したと思っても、 結局大筋変わってない。ただ澱のようにたまっていく事がある。作るものの印象のような事。 その人なり、という事なのか。ひとつひとつの動作や判断が すべてを形作るんだろうか。モノに限らず。 しょうがないからその時その時決めてもいいのかも。 ビジョンさえ持っていれば。

 

parts project 17

parts project 17

場所。について。 町の中は林立する箱に縦方向の感覚がなんか弱る。 高層にいるのかグランドにいるのか考えないような。 なぜだか横方向ばかり見ている気がする。 山道は自然と全方向で見ている。五感が正しく開くような。 それが出来るから休まる。町は全方向には とても見きれないから疲れるのだろうか。 町の中でも時々そういう気分に遭遇する特定の場所がある。 自然のなかより怖さがないので案外冴えて来る。 モノを作る時はそういう場所で考えてから全方向からみるものを作りたいと思う。

 

parts project 16

parts project 16

見たい事。について。 いろいろモノを作って写真を取ってみると、 そのモノよりそれらがどう在るかという事が 大事だと思う。

 

parts project 15

parts project 15

枠のような。について。 枠。それなしでは同一形状を保てない柔らかいものを 囲う2次元的なイメージがする。 枠の捉え方、使い方はいろいろある。 枠自体には目を向けず3次元の際限ないものを切り取って 覗いてみるように眼鏡の形体よりその先に広がる景色を 見ている。という風な意味合い。 しかしどの眼鏡をかけても、ある景色は見えるわけではない。 とりわけ静かで茫々とした景色は専用の眼鏡が要る。 そういう(枠のような)ものを時々町の中に見つけると つい覗いてしまう。 何が在るか。その先とこちら側両方見えるような気がする。