public furniture / misato 2012

public furniture / misato 2012

public furniture / misato piala-city, saitama 2012

 

Babaghuri / umeda 2012

Babaghuri / umeda 2012

Babaghuri by jurgen lehl / umeda-hankyu, osaka 2012 cooperated with okeda

 

JURGEN LEHL / umeda 2012

JURGEN LEHL / umeda 2012

JURGEN LEHL / umeda-hankyu, osaka, 2012 cooperated with okeda

 

pocchiri / tokyo 2012

pocchiri / tokyo 2012

pocchiri / soramachi, tokyo 2012

 

pocchiri / kyoto 2012

pocchiri / kyoto 2012

pocchiri / kyoto 2012

 

parts project 01 list

parts project 01 list

このプロジェクトの発端は用途も機能もなく、 ただ惹かれる印象をハッキリ目の前において眺めてみる。 そういうトレーニングが始まりでした。 日々デザインの仕事をするなかでデザイナーの役割、存在意味、 デザイン自体の意味を問われる。 実用面において造形を意匠するという事がデザインの定義であれば、それらは誰かの用途の為にある。 用途には機能だけでなく魅力的な形、同じように 魅力的な印象が要、不要に関わらず不可欠についてくる。 デザイナーはあるモノの製作に関わる際、 チームワークのなかにはじめて存在するように思う。 そのチームのなかでどの印象をどういう形に落とし込むか。 そういう技術が一番の役割であり 用途をクリアするべく知識としてコストや製造方法、販売方法を理解しバランスをとるものだと思う。 バランスをとる拠り所となるのは目に見えない印象という軸を自身が明確に持てるかという事。 誰かの用途次第であろうが、時々どの印象を見ているかだけがあいまいになる事がある。 一番の役割をやりきれていない。それがあいまいだと他すべてのバランスがとれず、チームになりえない。 あいまいなものをよく見るトレーニングが必要に思う。

 

parts project 02 list

parts project 02 list

印象。という事について。 イメージは五感に直接入って行く。 入り方はいろいろあり人それぞれも違う。 直接ひびく音楽や少しづつ溜まって到達するかのような文章。逆の表現が似合う音楽や文章もある。 モノの場合は目で見て手でふれ、 使い通りすぎようとしたその後 ふと残像のように空間に浮かぶように、五感に繋がる。 ただそこに在る。という表現が似合う。 よく見ると廻りにあるものは意外と複雑な形状である事に 気づく。 けれども日常にとけ込んで目に留まらない。ただそこに在る。そういう印象の在り方。 明快でもなく、はかなく、極細い可能性という 機能と思考のバランスを ただ惹かれる印象で追いかけてみる。 これらの形は見方を変えれば使う事も出来るが、 誰の用途でもないがゆえに機能は見る人により幅をもつ。 形はみたままの物体でもあり、形状をこえ廻りの空間の印象を捕まえてみる枠でもあり 目に見えないけれどある印象を五感でのぞく 眼鏡のようなものでありたい。 感じられる限り何層にも在りえる可能性。 その際限のない可能性をかかえ ただ在るという事を様々なパーツでスタディした プロジェクトを模索している。

 

parts project 01

parts project 01

ただ在る。という事について。 草木は在ろうともなく茫々と見える。 核になるモノがついと見る事が出来るかのように。 無意識かと言えばそうではなく意図して形を変え、 努力すら気づけばすでに行われている。 こちらの思惑が映り見えるようでなんとも言えず、静かになる。 長い時間をかけ変化も恐れず在る事は人工物にも同じように感じる。 モノや建物も時々空間という間と共に感じるそれらの瞬間がある。 清らかな草木より時に深く沈黙してしまう。 絵画の絵の奥に無限の静寂と虚無、果てがない空間が見える時、五感はさらに宙に浮び 何か拠り所を探してしまう。 ただ在るというのは孤独で頼もしい。

 

parts project 04

parts project 04

わかりにくいもの。について。 見れば用途を想像出来るものは安心する。 わかり易いという事はよい事でもよい印象に すべてなる事ではない。 同じくわかりにくいモノがあるとすると理解しようと する時点でよい印象になっていないんだなと思う。 わかり易いかわかりにくいかという事は あとから付いて来るといいと思う。 頭で既成概念にはめて理解する前に 使えそう、とかきれい。そういう印象がまず浮かび、 その後に(これは何なんだろう、、) そう思えるといいと、よく思う。 アートに家具がよく使われているのは こういう事なんだろうか。 概念を超える事はなかなか難しい。